新潟の空は今日も灰色/東京の空は今日も青空

知識も技術も文章力もないので練習しています。新潟から東京へ移住しました。

とある蕎麦屋での話

前職の営業研修の折、外回りのさなか、とある駅の近くの蕎麦屋でお昼を食べたことがあった。蕎麦自体はあまり美味くなかった記憶があるが、昼間の住宅地の中で傍目にも着なれていないリクルートスーツ姿の自分が入ってきたのが珍しかったのか、気さくな店主が声をかけてくれた。

聞けば、七十過ぎのその店主は、大学は東京六大学の一角を出たものの、家族の事情で蕎麦屋を継がざるを得なかったのだという。 本当ならば、銀行などで働きたかったが、気付けばこうして蕎麦屋をやっている。それでも、なかなか周りが大学にいけなかった時代に大学まで通わせてくれた親に報いたく必死に学は積んだつもりで、それは忘れたくはなく、故に今に至るまで日々読書を欠かしたことはないという。 仕事の合間、時間があるときにはさまざまな本を読み、気になる語句や漢字があれば、メモをとってあとでまた調べるという生活をしてきた。そして、たまに来る友人や蕎麦屋の客と、たとえば自分のような客といろんな話で盛り上がりたいのだそうだ。

私が新潟は長岡の大学の出身だということを言うと、ああ、あそこには西と東に山があってその上の大学だね、長岡には行ったことはないがよく話してくれるやつがいたり、地図を見たりして知っているよ、と嬉しそうに話してくれた。

ひとしきり蕎麦を食べ終え、店を出るときに、店主が今日話してくれたお前さんにぴったりの言葉を送るよと、胸ポケットから取り出した紙に「魭断」の二文字を書いて渡してくれた。 意味も出典も明かさないから、時間があれば自分で調べてみなさいという。今ならインターネットとかもあるだろうし、すぐ見つかるだろうとのことだった。

店を出た後、さっそくネットで調べたものの全く日本のページはヒットしない。中国語のサイトはかろうじて引っかかるものの、機械翻訳をかけてみても意味がよく分からない。しかし、よく読むと "庄子・天下" というものがちらほら見える。 さらに調べると、これは日本の漢字で言うところの「荘子・天下」ということであった。

家に帰った僕は"荘子 天下篇"の納められた、岩波文庫の「荘子 第四冊 雑篇」を購入し読んでみた。以下の一節に目的の言葉は記されていた。

常に人に反し、観を聚めず、而して魭断を免れず。

文章として意味としてはそんなによくはない。「魭断」という言葉単体の意味とすれば、「丸くする。摩擦を減らす」といった意味になるようだ。果たして、僕は丸いのだろうか。自分では判断がつかないが、店主はそう思ったのだろうか。そのときはそれで終わりだった。荘子も買っただけ。結局は持っているのは第四冊だけだし(他に第一冊から第三冊まである)。

その後しばらくして、僕は新潟にもどってきた。その転職・引っ越しのころ、さまざまなことが重なって、悲しく辛い気持ちになったことがあった。自分がどうすればいいのかもよくわからない状態で正直苦しかった時期であった。「なにすべきなのか、あのとき自分はどうすべきであったのか」そんなことばかりが頭に浮かび、悔いても悔やみきれない日々が続いた。そして、僕がそうなった原因の一つとしては、冒頭に出てきたとある駅とも絡む、ある事情によるところが大きいのであった*1

そんな折に、老荘思想というものを知った。いや、以前から名前は知ってはいたが、概要を知って少しだけ今までよりも調べてみることにしたのであった*2。そこには、もっと力抜いて生きろよ的なことが書いてあった(と思う。すごく乱暴な解釈だ。厳密には老子の方はよくわからない。深いのか、ただあまのじゃくなのか、僕には判断がつかない)。 それは、僕が悩んでいることの小ささというか、そういったことを気付かせてくれる一因になったと思っている。結果として(他の要因も絡むものの)だいぶ心は楽にすることができたのである。

とある駅の蕎麦屋がきっかけで知った荘子が、同じ駅を舞台にどうしようもない気持ちになった僕を救う一因となったのは、ただの偶然なのだろうと思う。しかしながら、たった、1年5ヶ月という短い東京生活のなかで、こういったことを経験できたのは、僕自身は非常に不思議だなと感じた次第である。

おそらくその駅へは、しばらく、いや、ともすればもう二度と行くことはないのだろうが、もし、この先、降り立つことがあったとき、僕はもっと”丸くなれている”のだろうか、とふと思ったりした。

急に思い出してどこかに書きたくなった、そんな東京での思い出。

*1:なお、蕎麦屋とは全く関係ない

*2:もともと兵法書とか、諸子百家の書物なんかには興味があった。