師走ですね。新潟は寒いです。
前職を退職して、そして今の職場に移って3ヶ月が経ちました。本当なら9月の辞めた直後、または転職した直後に書こうと思っていたのですがタイミングを逸してしまい、次は普通の会社なら試用期間が終わるころの3ヶ月後かな、ということでこの時期になりました*1。
まずは端的にご報告
8月末でインフラ系のエンジニアとして働いていた品川にあるN社を退職し、9月から地元・新潟のITベンチャー・ウォーターセル株式会社でシステムエンジニアとして働き始めました。
東京でお世話になった方々、本当にありがとうございました。新潟の方、ふたたびよろしくお願いします。また、こんなに報告が遅くなりまして、申し訳ございません。
端的な報告としては以上です。
辞めた理由、新潟に戻った理由
理由は二つです。
- 家族の事情
- 1.の理由が生まれたときにちょうどウォーターセルから誘いを受け、将来やりたいことを実現するなら、戻ったほうがいいような気がしたから
前職がブラックだったとか、人間関係がこじれて、とかではないです。むしろ、僕にとってはすごく過ごしやすかったし、同じ部署の先輩方は若い僕を気に掛けてくださって、早くから意見を取り入れてくれたり、重要な役目に取り立ててくださったり、非常に良い環境にいたと思います。退職の時も、ものすごい贈り物をもらって、本当に感謝してもしきれないのが正直な気持ちです。本当にありがとうございました。
また、東京という土地もいろいろな勉強会があったり、秋葉原や中野などには趣味の聖地はあるし、電子部品やガジェットも買いやすかったりですごくよい環境だったと思います。
とても恵まれた環境だったのは確かで、正直後ろ髪を引かれながらだったのですが、それでもなお新潟に戻ることにしたのは、家族の事情的に帰りたいという気持ちが強くなり、ほぼ同時に今の職場から来ないかという誘いを受けたところで、転職をしたほうがいいかなという気持ちが生まれたためでした。N社でインフラ関係を続けるのでは、後述する将来やりたいことをやろうとするには少々障壁が高いのではという気持ち、それよりも転職してしまった方が僕の目指すものには近いのだろうな、という気持ちが生まれてしまったのは大きいところでした。
ただ、一つ確かに言えるのは、単純にウォーターセルから誘いを受けただけだったら、やっぱり新潟には戻らなかったということです。家族とお誘い、二つが重なったから戻ったのは確かです。
この数ヶ月
転職すると決めてN社で上長に伝えてから、実際に転職し今に至るまで、仕事でもプライベートでもいろんなことがありました。正直書き切れないですし、この場では書けないこともいろいろありました。振り返ってみて、いろんな方とお話をして、いろんなことを経験して、詰まった時間を過ごせたなと思います。
特に8月から9月、10月の3ヶ月は、今までの人生の中でも最高にいろいろなことが詰まった3ヶ月でした。その中で少しだけ思ったことを列挙してみます。
- 思い切って一歩踏み出すと案外とうまくいく。
- 「傾聴」、意識高い人っぽいからあんまり好きな言葉ではないけれど、なんとなく意味がつかめた気がする。これこそ、やっていたつもりでも、今まで僕には決定的に足りなかったものなのだと。今も足りないけど、気づいたらできるように意識し続けようと思う。
- なにしても人の話が聞けない状態に陥ってる自覚が生まれたら、まずは自分を取り戻さなきゃだめ。たとえば、おかしいことはおかしいって言わなきゃだめ。我慢しててもただ鬱るだけ。余計に周りに迷惑掛けるだけ。
- 逆の視点に立って、何言っても聞けない/聞かない人に対しては、結局何言ったって無駄。時間とSAN値の無駄。
- 北海道は寒い。でも、おいしいものがすごく多い。そしてすごく広い。あの広い緑を眺めていたら、気持ちも落ち着く。飛行機だと新潟←→新千歳って1時間くらいで、思ってたより短かったのも意外。けどね、JR北海道はやっぱり怖いよね。
- なに言ってても自分の言葉が軽いという自覚。人に指摘される機会は少ないけれど、言われるとどうしようもない気持ちになる。そして、言ってくれる人達の言葉はとても重い。
- 実家暮らしってお金貯まる気がする(貯まらない)。
今の仕事
今の会社ウォーターセルは農業ITの会社です。設立3年目でクラウドでの圃場・生産管理システムを作っています。社員数は僕が入社する9月まで7人くらいだったのが、今は20人くらいになりました。びっくりだね!
今は僕は、バリバリ技術!というよりは渉外的な役割を中心にしてます。前の会社のときよりは、SE感出てる気がします*2。まだまだ、ひよっこだけども、だけどもー。
具体的には、出張して*3、協業会社さんとの打ち合わせでお話を聞いて、要件定義して、見積もりして*4、プログラマさんに実装をお願いして、その進捗管理(未遂)をして、できたりしたらメールで先方に報告を上げて、という感じのことをしてます。スーツ着る機会と飛行機・新幹線に乗る機会がかなり増えました。
技術的なことにあまり触れられないのは寂しいときもあるけど、割と楽しいです。たぶん、将来やりたいこととつながっているという気持ちがあるからなんだと思いますが。
とはいえ、技術的なこと全く無いかと言えば、ときどきサーバやネットワークやらには手をつけてますよ。最近はAnsibleとかFabricいじくってます。楽しいです。
周りの技術陣(プログラマ陣)は顔見知りばっかり。気が緩むという悪いところはあるものの、気楽に話しかけられる人ばっかりなので助かりますね。
あと、なぜか僕は法務担当らしいです*5。時々、実装する機能が抵触してないか特許文書眺めたりしてます。
農業は奥深いです。さすが人類最古の生業、そこにはいろんな叡智が含まれていて、僕程度の人間が数年でどうとかっていうことは考えられない世界ですね。しかし、いろんなところにICTがサポート可能な伸びしろがあることも事実でした。そのあたりを、地方のこの会社からなんとかしていくという使命は、すごくやりがいを感じているところであります。
以前と比較して
前の会社は恵まれていたなぁ、特に金銭面や統制面。そう思うことはよくあります。当たり前ですがね。
ただ、前に会社になかった良いところは、今の会社でいろいろ見つけられているので、どっこいどっこいなんだろうなって思います。
ついでに言えば、良いところはこれから我々でいっぱい作っていく余地があるんだと思います。
これからどうするの
短期的に
- 目の前のタスクを消化する。
- 今の会社のシステムのコードちょっと読まなきゃ。でないと困ること多々。
- 3月に資格取るために勉強する。
中期的に
- 新潟大学の社会人大学院(MOT)に行きたい。
- そのための学費を貯めなきゃ。
長期的に
転職前から、「将来、知財やりたい」ということはいろんな人に言ってきたのですが、知財も実はやりたいことの最終形ではなくて、実際にやりたいことの最終形は「技術経営」なのです*6
技術的な内容がわかって、知財のことがわかって、それを武器に技術の経営ができる。そういう風な人間になりたいのです。
前職の時に思ったのは、客観的な見地から技術についての方向性についてイニシアチブをとれる人が上層部にいないな、ということでした。そんな人がいる会社は日本にはそう多くないのかも知れませんが、でもそれじゃいけない。MOTという言葉自体は以前より流行りという意味では弱まってますが、それでも重要性は色あせてはいないはずです。
今の役割(SE)では、いろいろな人と仕事の話をして、交渉やすりあわせもして、またいろんな技術を持つ会社などとやりとりをすることができる立場にいます。そういう意味で、目標の実現のためには一つの道としてすごくいい流れだと思ってます。だから、今の役割は考えながら、きちんとやりきらなきゃな、という日々を過ごしています。
そんなわけで
適度にがんばります。
どなたか、新潟来たら飲みましょう。僕が東京行くときは飲みましょう。